2014年09月28日
小川三夫棟梁の講演を聞いてきました
これも学校行事ではありませんが、奈良で小川三夫棟梁の講演を聞く機会がありました。
鵤工舎を設立した小川三夫棟梁は、「最後の宮大工」と言われた、法隆寺大工 西岡常一棟梁の唯一の内弟子で、宮大工を志す生徒が多いこの学校では、早い時期から様々な授業の中で出てくるお名前ですので、学生の中でもとても人気のある方です。

会場は奈良県立新公会堂で、立派な能舞台の上で行われました
講演内容の多くは、「ほぼ日刊イトイ新聞」の「法隆寺へ行こう!」にある「対談編(全9回)」に書かれていますのでそちらをご覧頂くとして、ここでは印象に残った言葉をいくつか挙げてみたいと思います。
・法隆寺を見て感激し、こんな建物を建ててみたいと思ったのが宮大工になろうと思った切っ掛け。
でも、当時は「宮大工」という言葉すら知らなかったし、他につても無かったので、奈良県庁に行って、「法隆寺で大工をしたい」と言ったら、「西岡さんを訪ねてみろ」と県庁の職員に言われ、そのまま法隆寺へ行ったら西岡さんに会えた。(何も知らなくても、熱意があれば前に突き進むことが出来る)
・18歳の時、親に「宮大工になる」と言ったら、「なんでこのご時世に、川上にのぼるような仕事を選ぶんだ、大きな船に乗って川下にくだるような仕事なんていっぱいあるのに」と親は言い、半ば勘当に近い形で家を出てきた。(それだけ、宮大工の仕事は辛くて大変だということ)
・3年半余所で下積みをした後、やっと西岡棟梁の所へ戻る機会があったのですが、その時棟梁がひとこと「道具箱を見せろ」と。自分の道具箱をしばらくじーっと見た後、「納屋の掃除担当をせい」と言われた時は、やっと弟子にしてくれたと、本当に嬉しかった。
・「納屋の掃除担当」っていうと大工仕事と全く関係ないと思ってしまうけれども、納屋には大工道具や書きかけの図面がいっぱい置いてあります。つまり棟梁は「納屋にあるものを見てしっかり勉強せい」と言ってくれた、ということを感じ取らなくてはなりません。(言葉の裏をしっかりと読む)

・うちに来る若い衆は、何も取柄の無い人間ばかりです。何か取り柄が有ると、どっぷりと仕事に浸ることが出来ず、あっちこっちと余所を向いてしまってモノになりません。器用な人間は別な仕事で稼いだら良いのです。(器用な人間ほど逃げ道を考えてしまうし、また逃げることが出来る)
・とにかく修行中は自分の考えを持たないことです。「斧を研げ」と言われたら、斧が針になるまで研いでしまうような人間が一番修行に向いています。自分の考えを持つのは棟梁として独立してからでも遅くはありません。(師匠の言うことを愚直に行う人間が一番成長する)
・10mの直角三角形を作れと言われて、器用な人間は30cmの三角定規を覗いて10mの三角形を作ろうとしますが、不器用な人間は本当に10mの直角三角形を作ろうとします。後者の人間の方が、将来、大きく成長します。(小手先のテクニックで対処するのではなく、本質を見極める)
・一人前の大工になるためには、なるべく遠回りさせることも大切です。無駄なことをいっぱいさせて、その無駄に気付かせれば、今度はその無駄を省こうと目の色を変えて努力をします。
最後に、槍鉋(ヤリガンナ)の実演をして頂きました。この槍鉋は、室町時代にノコギリが発明されると途絶えてしまった道具で、それ以前の建物を修復する際には絶対に必要であると考えた西岡棟梁が、様々な文献を調べに調べて500年以上振りに復活させたという思い出深い道具であります。

小川棟梁が削る度に、クルクルとした綺麗なカンナクズが出てきます。このカンナクズを欲しいと思った人は私だけではないと思います。(残念ながら、いただけませんでした)
小川棟梁が西岡棟梁から直接教わったのは、たった一枚のカンナクズだけだったそうです。そのカンナクズを大切に窓に貼り付け、同じカンナクズが削れるように毎日夜が更けるまでカンナを研いだというエピソードを思い出しながら、いわば神業とでも言うべき小川棟梁の動きに見入ってしまいました。
講演終了後の割れんばかりの拍手の大きさが、この講演の素晴らしさを物語っていました。
機会がありましたら、是非、事前学習をしっかりとして講演を聞きに行ってみてください。
(KI)
鵤工舎を設立した小川三夫棟梁は、「最後の宮大工」と言われた、法隆寺大工 西岡常一棟梁の唯一の内弟子で、宮大工を志す生徒が多いこの学校では、早い時期から様々な授業の中で出てくるお名前ですので、学生の中でもとても人気のある方です。

講演内容の多くは、「ほぼ日刊イトイ新聞」の「法隆寺へ行こう!」にある「対談編(全9回)」に書かれていますのでそちらをご覧頂くとして、ここでは印象に残った言葉をいくつか挙げてみたいと思います。
・法隆寺を見て感激し、こんな建物を建ててみたいと思ったのが宮大工になろうと思った切っ掛け。
でも、当時は「宮大工」という言葉すら知らなかったし、他につても無かったので、奈良県庁に行って、「法隆寺で大工をしたい」と言ったら、「西岡さんを訪ねてみろ」と県庁の職員に言われ、そのまま法隆寺へ行ったら西岡さんに会えた。(何も知らなくても、熱意があれば前に突き進むことが出来る)
・18歳の時、親に「宮大工になる」と言ったら、「なんでこのご時世に、川上にのぼるような仕事を選ぶんだ、大きな船に乗って川下にくだるような仕事なんていっぱいあるのに」と親は言い、半ば勘当に近い形で家を出てきた。(それだけ、宮大工の仕事は辛くて大変だということ)
・3年半余所で下積みをした後、やっと西岡棟梁の所へ戻る機会があったのですが、その時棟梁がひとこと「道具箱を見せろ」と。自分の道具箱をしばらくじーっと見た後、「納屋の掃除担当をせい」と言われた時は、やっと弟子にしてくれたと、本当に嬉しかった。
・「納屋の掃除担当」っていうと大工仕事と全く関係ないと思ってしまうけれども、納屋には大工道具や書きかけの図面がいっぱい置いてあります。つまり棟梁は「納屋にあるものを見てしっかり勉強せい」と言ってくれた、ということを感じ取らなくてはなりません。(言葉の裏をしっかりと読む)

・とにかく修行中は自分の考えを持たないことです。「斧を研げ」と言われたら、斧が針になるまで研いでしまうような人間が一番修行に向いています。自分の考えを持つのは棟梁として独立してからでも遅くはありません。(師匠の言うことを愚直に行う人間が一番成長する)
・10mの直角三角形を作れと言われて、器用な人間は30cmの三角定規を覗いて10mの三角形を作ろうとしますが、不器用な人間は本当に10mの直角三角形を作ろうとします。後者の人間の方が、将来、大きく成長します。(小手先のテクニックで対処するのではなく、本質を見極める)
・一人前の大工になるためには、なるべく遠回りさせることも大切です。無駄なことをいっぱいさせて、その無駄に気付かせれば、今度はその無駄を省こうと目の色を変えて努力をします。
最後に、槍鉋(ヤリガンナ)の実演をして頂きました。この槍鉋は、室町時代にノコギリが発明されると途絶えてしまった道具で、それ以前の建物を修復する際には絶対に必要であると考えた西岡棟梁が、様々な文献を調べに調べて500年以上振りに復活させたという思い出深い道具であります。

小川棟梁が西岡棟梁から直接教わったのは、たった一枚のカンナクズだけだったそうです。そのカンナクズを大切に窓に貼り付け、同じカンナクズが削れるように毎日夜が更けるまでカンナを研いだというエピソードを思い出しながら、いわば神業とでも言うべき小川棟梁の動きに見入ってしまいました。
講演終了後の割れんばかりの拍手の大きさが、この講演の素晴らしさを物語っていました。
機会がありましたら、是非、事前学習をしっかりとして講演を聞きに行ってみてください。
(KI)
Posted by 日本建築専門学校 at 08:26│Comments(0)
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